雨が降る
ここ2、3日雨が降っている。1週間ほど暑い日が続いたのの お返しだといわんばかりに降っている。そのため、 外出はしていない。
前に朝からしっかりと頭を起こすのには、朝食と軽い運動が 必要だという話を聞いた事がある。食事はだいたいしているのだが、 運動は自転車をこがない限りしていない。
ところで、この2,3日あまり集中できていない気がする。 もちろん机には向かっている。しかし勉強ははかどらない。 場所が家というせいもある。予備校の自習室などは 廻りも静かに勉強しているのに影響され、ぼくも集中するのだが。
以上の事を総括すると、「雨が降っているために運動が出来ず、 そのため頭がちゃんと働き始めず場所も家で、結果勉強に身が入らない」 という事が言えるだろう。つまり、この無気力感は、外で ざーざーいっている雨のせいによるものが大きいという事だ。
タイムリミットは後2週間。その後には資格試験も待っている。 当分実家には帰りそうにはない。
意識を集中
今日の朝はすごい雷だった。当然外出する気をなくしたぼくは、 家で勉強をする事にした。いつもは図書館などで勉強するため 大体集中できるのだが、家では出来ない事が多かった。
昨日インターネットで変なものを見つけた。催眠処方で勉強する 気を増幅させてくれるというソフト「HYPNO」だ。 訳が分からないながらも気になったのでダウンロードしておいた。
勉強をする段になって、試しに解凍、実行してみた。 実行してみると、画面が暗くなって真ん中に白い丸が表示される。 この丸はだんだんに小さくなる。そして画面の端には「あなたは 勉強が出来る」「あなたは集中できる」といった言葉が表示されるが、 この言葉を見てはいけないらしい。
丸に意識が集中していくのがわかった。確かに集中できそうだ。 そして、例えこのソフトで集中する事が出来なくても、 このソフトを使ったという事がプラスに働きそうだ。 世の中にはこんな物もあるんですね。でも、多用はしないほうが良いかも 知れない。
夜の蝉
都心では夜でも蝉が鳴いている。そんな事はここ10年ほどの 出来事らしい。夜でも、昆虫が昼間と勘違いして活動をしている。 今も、それほどうるさくはないものの、みーみー蝉がうなっている。
ついこの間、夜だというのにトンボが家の中に入ってきた。 かなり元気に飛び回っていた。そのうちに出て行くかなと 思ったが出て行かないので、手でつかんで窓の外に放り出した。
人の話を聞くと、昔はトンボは簡単には手で捕まえる事が 出来なかったらしい。それが今では、農薬などの毒物で 弱り、昔ほどの元気が無いという事だ。たしかに、この間のトンボは 簡単に捕まえる事が出来た。しかも、止まっているところではなく、 飛んでいるところを捕まえた。
虫の行動が、人間によって狂わされている。そんな事は、知識では 知っていたが目の当たりにするとまた違った気持ちになる。 でもまあとりあえず、自然環境がどうのこうのと書くつもりはない。
とにかく、気温も下がった夜にまで真夏の太陽を思い起こさせる 蝉の鳴き声は止めて欲しいものだ。
予備校自習室にて
大学院入試があと2週間とちょっと。 大丈夫だろうという楽観があるのと同時に、 やばいのではないかという不安が胸に押し寄せ、 より集中力をなくさせる。
そんな状況を打破するために、勉強をする環境を変えてみた。 そう、予備校自習室。図書館であった友達が自習室を利用している と言っていたので、僕も試してみた。 考えられるのが「河合」「駿台」「代ゼミ」の三つ。 それ以外の予備校は良く知らない。
今のところ「河合」「駿台」の二つに行ってみた。 両方ともクーラーが効きとても静かだったので勉強をするには 非常に良い環境である事が分かった。 お金を取っているだけの事はある。
驚いたのが「駿台」の自習室。なんと、入室するのに「SDカード」 なる生徒証が必要。最初に入った時は、人に付いていったので 気が付かなかったのだが、トイレに行った帰りにいきなりドアが あかなくなっていて非常にびっくりした。 退室する時に「うぃーん」という音がしたので嫌な気はしたのだけれど。
明日は「代ゼミ」の自習室に行ってみるつもり。でも「代ゼミ」には 自転車置き場が無いのが難点。
最後に。「短期集中ー大学院入試講座ー」なんてあったら、すぐにでも 行くのに。うーん。無いのかな?
盗聴法
盗聴法案が昨夜強行採決された。まだまだ議論の余地を残したまま 成立してしまった。うわさの法律条文はどんなもんだろうと 探してみて眺めましたが、良く分かりません。 とりあえず、テレビや新聞などで書かれている噂を信じてみると しましょう。
さて、大学に入ってから様々な用途でインターネットを利用し、 メールも使用しています。そのような情報を「犯罪の恐れがある」 という、たったそれだけの事で文章を読まれてしまうというのは、 考えただけでもゾッとします。
例えると、犯罪の恐れがあるだけで、人の郵便受けから手紙を抜き取り 封を開け、中身を読むという事が許されてしまうという事です。 しかも、一人一人をターゲットにする事は技術的に難しく、 「同じアパートに犯罪に関係したかもしれない 人が住んでいた場合、それだけで自分宛ての手紙を見られてしまう」 という話です。 治安維持法を連想させます。
ニュースで井上ひさしさんが「もはや戦後ではない。戦前である。」 といっていました。何を考えているんでしょうね、日本政府は? 今の若者に愛国心は求められませんよ。
国旗・国歌
今日国旗国歌法案が成立したらしい。 これで名実ともに「日の丸」「君が代」が国旗・国歌になった。
そういえば、それなりの数の学校では、 国旗,国歌の掲揚,斉唱を拒んでいるという。 確かに日の丸があがり、国歌を斉唱するというのは 面白い事ではない。 君が代は、多くの人に好感を持たれているとは考えづらい。
なぜだろう?ワールドカップでは、頬にまで描くというのに。 オリンピックでの表彰台の上で、君が代を聞けば涙さえ流すというのに。
式典は、お偉方の談話などなど、紋切型のイベントが続く。 それらのほとんどは面白くないものだ。 そして、日常一般で見聞きする国旗,国歌は式典でのものが圧倒的に 多いという事も忘れてはいけない。
これから考えられる事は、 「君が代が嫌いだというイメージは式典のイメージによるものだ」 ということだ。
式典のつまらなさに裏付けられた「国旗国歌」の嫌悪感に後押しされて、 多くの人が国旗国歌法案に反対している。 もちろん、嫌悪感だけでは無い事は確かだ。 国歌の歌詞について、天皇を詠っている事がもちろん問題だと ぼくも思う。
歌詞に関しての解釈も、自衛隊に関する憲法9条の解釈に なんだか似ている気もする。政治家には言葉遊びよりも、 もっと高尚なところでの努力をしてもらいたいと思う。例えば、 原爆廃絶とか。
歳を取るという事
昨日誕生日を迎えた。22回目。
小学校の頃、誕生日というのは一大イベントだった。 もちろん誕生日プレゼントをもらえるという事もあった。 だけど、それ以外にもうきうきさせる何かがあった。 言葉には出来ない何か。プロならば表現する事が 出来るのかもしれないけれど、ぼくはプロではない。残念。
小さい頃に感じたうきうき感も減衰している。 減衰の仕方は、かなり大きいように感じる。 とりあえず今の所、誕生日の喜びの関数は、 1/(year)2といったところか。 ただし、関数値は他人の受ける値も含め、 祝福されて生まれてきた人に対してのみ適応できるとしよう。 また、定義域は(はっきりとは言えないが) (year) < 30位だろうか。 誕生日にどれだけ喜ぶのかという関数を描こうとすると どの様になるのだろう?
小さい頃には大きく、30から50くらいまで小さくなっていき、 80を過ぎると大きくなるような、バスタブ曲線を描くのかもしれない。 しかしながら、あくまで想像で体験したわけではないので、 説得力に欠ける。機会があればリサーチをしてみたいところだ。