指揮者
昨日の夕方、大学の交響楽団のコンサートへ行って来た。友人に安くチケットを譲ってもらえるため、2回に1回くらいの頻度で行っている。大学の交響楽団なため、必ずしもレベルが高いわけではなく、ほほえましいミスもたまにしてくれる。
見ていていつも思うのだが、舞台の上にいる人の中で一番気分がいいのは、やはり指揮者だろう。おそらく演奏中は、手足が楽器になったような気分だろう。指揮棒が、時にはバイオリンだったり、ティンパニーだったりと変化する。思い通りの音が思った通りのタイミングで出てくるのは、快感に違いない。
また、以前に一度だけ、舞台の中央に立ったことがある。空の客席が前だったのだが、それだけでも気分が良かった。拍手をする満場のお客さんを前にしたら、泣きたいくらいにうれしくなるだろうと想像した。そんな特典を、指揮者は味わうことができる。
残念ながら、僕には音楽の才能がかけらもない。無い物ねだりは分かっている。しかし、いつも舞台の上で花束を渡されている指揮者になってみたくなる。
卒論テーマ
高校の頃までは、「大学生の卒論」といえば、「提出時間に一秒でも遅れたら即留年」という恐ろしいイメージがあった。大学に入ってから多少はゆるんだが、それでも大仕事だと思っていた。
しかしこの研究室に来てから、そのイメージが音を立てて崩れていった。先輩方の「3日で書き上げた」「書かないで逃げた」とかいう武勇伝を聞いてしまってはどうしようもない。
そんなわけで、形だけの卒論を出してもどうにかなるようだが、それでもやはり、それなりの形を残したいと思う。ということで、相も変わらずテーマについて悩んでいた。何となく心の上に乗っかっている、軽いおもしのようなものだ。
そして、つい昨日の夜寝る前に、あるアイディアが浮かんだ。教授に相談していないので、どれだけ実現性のある話なのかは分からないが、自分では結構いけると思っている。内容については、また後日ということで。
おもしのとれた夜の睡眠は、自分でも驚くくらいに快適だった。実に半年ぶりに、本当の開放感を味わうことができた。こんなにも苦しんでいたのか。
年賀状
毎年恒例の行事が、またもやってくる。郵政省が画策した国民的な行事の一つ、「年賀状」だ。書く意味があるか、はなはだ疑問ではある。が、他人に来て自分にこないのが寂しいという、日本人らしい感覚から、仕方なく毎年書いている。
実家にいた頃は、プリントごっこを使った自家製の年賀状があったので、それを使っていればよかった。しかし、今の家にはプリントごっこがないので、手軽な自家製の年賀状がない。売られている柄付きの葉書はオリジナリティーが無いし、パソコンで作るのも心がこもっていないような感じがして嫌なので、今年まで全て手書きでやってきた。字も絵も汚いという、致命的な欠点があるので、それをフォローするのに毎年苦労している。下手うまに見せながら、それなりの枚数を書くのは疲れる。
次に毎年頭を悩ます事が、誰に出すかということだ。特に困るのが、今年のように新しい場所に来た場合だ。研究室の人には、出した方がよいのか悪いのか。枚数を増やしたくないのであまり出したくないのだが、周りの様子をうかがって見るつもりだ。
会社にはいるとたくさん書かなければならなくなるのだろうな、と父親宛の年賀状を見ると思う。友人関係だけに年賀状を書くのは今のうちだけなのだろう。仕事上のつきあいの人に100枚以上書かなければならなくなると思うと、ぞっとする。
大学生の学力
巷で由々しき事と言われている話に、分数の計算ができない大学生の話がある。とりあえず理系を自認している僕にとっては、全く信じられない話だ。しかし、ただ笑っているだけでも悪かろうと、我が身を振り返ってみることにした。
理系にとっての鬼門は何だろうか。とりあえず、ぱっと思いつくのがボキャブラリーの少なさだ。これに関しては、このように発行物を出しているので、それなりの自信はある。
さて、実際どれくらいの語彙数があるのだろうか。世の中は便利なもので、語彙数をはかってくれるホームページがあるらしい。さっそくそのページを訪ねてみた。推定してもらった結果、僕の持っている単語数は57171語と出た。手元にある辞書の語彙数は7万数千語だと言うから、まあ悪いというわけではないだろう。可もなく不可もない。とりあえず一安心。
文系らしい知識は、ボキャブラリーに限らずほかにもある。あと気になる文系の知識というと、漢字と歴史と地理だ。これに関しては、分数の計算と同じで、日常生活には関係のない話ではあるのだが、全く自信がない。やはり大学生は頭が悪いのだろうか。
お薦めの本
今日はお休みということで、古本屋を巡ることにした。仙台は小春日和で、11月の終わりとは思えないほどすっきりとした天気だったからだ。卒業研究の内容もろくに決まっておらず、本を買いまくることで気を紛らわしたかったこともある。
新刊はさすがになかったが、目当ての本はだいたいあった。読み切れるかどうかもろくに考えず、欲しかった本はとりあえず買う。それ以外の本も読んでみようかとも思った。が、棚いっぱいの本を前にして立ちつくすだけだった。どれが面白いのかさっぱり分からない。作家で見当をつけようにも、知らないのだから手の着けようがない。どれが面白いのだろう。
こんな時に図書館を利用すればよいのだが、使いやすい図書館が仙台にはない。どうにかしてくれ、仙台市!
P.S. お薦めの本があったら教えてください。
見学
3年生は今頃になると、研究室配属が一番の懸案となる。配属そのものは4年の春なのだが、3年生の12月に配属先が決定する。配属先は、成績で決まるわけではなく、個人の希望を調整して決まる。そのため、希望を出し合う前にどこの研究室に行きたいかを決めておかなければならない。しかし、普通に学校に行っているだけでは、どこで何をしているかは分からない。そのため、全ての研究室を巡って、研究室関係者からどのようなことをしているかの説明を受ける。
説明というのが、研究室の個性が出る。やる気満々で、はやりのテレビドラマ風に仕立てたビデオを見せたりするところまであったりする。そこまでする理由は、研究室を魅力的に見せて優秀な生徒を確保したいのだ。
僕が所属している研究室の去年の説明は、全くおもしろくなかった。教授がぼそぼそ話すビデオを見ただけで、何をしているのか全く分からなかった。幸いなことに、去年はそれ以外で研究室の内容を見ることができた。しかし、今年はそのような催しがない。
今年はどのような説明をするのだろうか、と今日見てみると、去年よりも力の入った説明をしてるではないか。僕らの出来がよくなくて懲りたのか、とも思いつつ、新しく入ってくる4年生が楽しみにもなった。