負ければ賊軍
アメリカで、日本政府を相手取り戦後補償の訴訟が相継いでいるらしい。 それを促す法律ができたからだという。 経済だけでなく、司法でも世界を牛耳ろうと言うのだろうか。 それなら卑怯だ。 経済力を背景に、自分で勝手に法律を作って、 それで他の国を裁こうなんて言うのは、許せない。 そんなことをしないことを、とりあえずは祈っておこう。
さて、日本の戦後補償の実体はどうなっているのだろうか。 それを知るためには、どのような歴史があったかを知らなければならない。 南京大虐殺や従軍慰安婦など、戦中の問題は様々にある。 それらの真実はどこにあるのだろうか。 正直言って分からないけれど、僕なりの印象はあった。
南京大虐殺は、ホームページなどを見る限り、なんとなく捏造の気がしてくる。 「当事者の証言が嘘であることが分かった」などという記述があったりすると、 それに立脚している証明などはうさんくさく思えてくる。
従軍慰安婦についてはどうだろうか。 「私はこんな目にあった」、という当事者がいるのだから、 本当の気もしてくるし、 戦時中の混乱で勘違いしているのではないか、という気もしてくる。 でも、どちらにしても近いことはあったのではないか?
こういう場合、戦争の勝敗がものを言う。 戦争に負けた日本は、あくまで悪者。 たとえ、アメリカがこのようなことをしたとしても、 おそらくここまでの問題にはならないだろうし、 勝利で得たお金で十分な補償もできるだろう。 勝利は時の運とは言え、このことに関しては、日本は不運だった。
さて、僕の意見をここで書かなければならないだろう。 アメリカでの判決は、日本の責任を認めることになりそうな気がする。 それならば、日本の裁判所で日本の戦争責任を認めるべきだったろう。 こんなに重要な判決をアメリカにされてしまっては、 これからの日本の司法の発言権が小さくなってしまう。 もちろん、日本が負けるとは限らないけれど。
カラオケ初挑戦
僕は今まで、カラオケに行ったことはなかった。 飲み屋でカラオケ付きの部屋に通されたことはあったが、 それでも歌ったことはなかった。 自分の部屋で、CDを聞きながら口ずさむのは嫌いではない。 むしろ好きなのだが、カラオケだと、 自分の下手な歌を他の人に聞かせることになる。 それが、とても恥ずかしかった。
しかし今日、とうとうカラオケボックスへ行った。 しかも、一曲だけだが、歌ってしまった。 成り行きで仕方のなかったこととはいえ、 これだけのことをした自分に少々驚いている。
入ってしまった以上、楽しまなかったらもったいない。 そう思うことができたのも、びっくりだ。 まあ、思うだけで、十分に実行に移せたかどうかは怪しいのだけれど。
行ってみた結果、思ったことは二つ。 一つは、カラオケは決してつまらなくはない。 一緒に行く人によってはかなりおもしろいだろう。 そしてもう一つは、カラオケは面倒くさい。 最近の曲についてそれなりの知識が求められたり、 自分が歌う曲についてちゃんと知っていなければならない。
社会人になるに当り、とりあえずいい経験になった。 でも、やっぱり率先していきたいものではなかった。