国力とは
TBSで放送された、朱鎔基首相と市民との直接対話を見た。 責任を負う必要のない市民からの遠慮のない質問に、 大国を率いている首相が答えているのにもかかわらず、 返答に淀みがない。いや、さすがだ。
なぜ中国にはこのような優秀な人材がいるのだろうか。 最近よく考えるのが、 人口に比例して、優秀な人間の人数も自然に多くなるのか、ということだ。 中国には優秀なスポーツ選手も多いだろうし、 頭のよい人も同様に多いだろう。
そんな風に考えていくと、 国力というのは人口に比例しやすいのではないかと思う。 いわゆる先進国と言われている国は、 それなりの人口を抱えているはずだ。
とおもって調べてみたが、 必ずしも人口と国力が比例しているわけでもないようだ。 G7諸国の人口を見てみたところ、 アメリカの2億人、日本の1億2千万を除いて1億人を越えている国はない。 にもかかわらず、これらの国々が世界を動かしている。 ちなみにインドには、9億人もの人が住んでいる。
国力とはどこで決まるのだろうか。 人材のプールがあるだけではだめなようだ。 それをいかにうまく使うか、いかに一つの方向に目を向かせるか、 それが重要になってくるのだろう。
でも、人口が多い方が優秀な人物が出てきて、 全体をまとめてくれそうな気がするのだが、そうは行かないらしい。 宗教があればよいのだろうか? うーん、難しい。
芋煮2000
今日は研究室の芋煮だった。 ちなみに芋煮とは、川辺で豚汁やすき焼きをなべで作ると思えば、 そう間違いはない。秋の仙台名物と言える。
去年はあまり手伝っていなかったマスター2年の人も、 修論のストレスがたまっているせいか張り切っていた。 その人は、「サンマ」を焼こうと強く主張したのだった。
なべを作るという時に、なぜサンマなのか。 後片付けも面倒くさいというのに。 以前いた研究室でもヒットだったらしい。 それでもやっぱりなんか変でしょう。 そんな風に思っていた。
しかし、不覚にも、非常に美味しかった。 思わず2匹も食べてしまった。 やはり旬の食材はうまい。 久しぶりに自炊でもしてみようかと思ってしまった。
YOSAKOI
時間をたくさんとれる今のうちに、 記憶に残ることをしておきたいと思って身を投じたヨサコイ祭りだったが、 今月8日に終了してしまった。
祭りの最終日を迎えるまで、正直なところ入ったことを後悔していた。 何でもできると思っている学生たちと、 学生は馬鹿だと思っている社会人たちの溝が大きくあって、 気ままに活動することができないからだ。
しかし、祭り当日を迎えてからは、 誰もこの祭りにかける思いは同じなのだと分かったし、 それ以上に参加してくれた人たちが喜んでくれたことが、 とてもうれしかった。
特に、最終日の「フィナーレ」を迎えたときには、 感無量だった。 そのあとに片付けの仕事が残っているのを知っていて、 早く活動しないといけないことも分かっていても、 どうしてもそこを離れることができない。 もう少しその光景を見ていたい、その思いにはさからえなかった。
参加してくれた踊り手の人に「お疲れ様でした」と言われたときには、 今までの苦労が全て報われた気がして、思わず潤んでしまった。 社会人と学生の間に入って頑張った委員長や、 最後の数ヵ月準備に全ての時間を捧げたスタッフの人たちも、 感極まってで泣いていた。
普段聞く鳴子の音は、単に木と木がぶつかった音しかしない。 けれどそのときは、心を揺さぶる、心に染みてゆく力があった。
どんな音だったのか、知りたければ聞くしかない。 聞きたい人は、実行委員をやるべし。