空きがまた一つ
今までよくかまってもらった人が、また一人研究室を去っていった。 やらなければならない仕事がある僕は、 3月中もほとんど研究室に来なければならない。 しかし、修士論文の本審査が終わって、やることがないM2は、 次々に実家へと帰ってゆく。
同学年がほとんどいない僕をかまってくれたのが、そのM2の先輩達なのだが、 その人たちがどんどんと仙台を離れている。 離れる前にやることがあったりして、仙台にいたとしても、 研究室にはまず顔を出さない。
周りに一生懸命やっている人がいると、その人にのせられて頑張れる、 ということがある。 本審査に向けて必死だったM2にのせられて仕事をやってきた僕だから、 何だか急につっかえ棒をはずされたみたいに気が抜けてしまった。
研究室を研究室らしくしていたM2の私物も段々に撤収され、 研究室解体に向けて研究室の荷物も整理されてゆく。 徐々に物がなくなってゆく研究室にいると、 一人だけ取り残されたような印象を受ける。 残された者は、淋しい。。
本物の自分
テレビドラマの中で、 「偽物の自分には戻りたくない」というセリフが出てきた。 本物の自分、って何だろう。 何だろう、と考え込んでしまう原因は、 定義が分からないことであることが多い。 以前考えた「幸せ」もそんなものだった。 定義が分からないために、今どうであるかと判断できない。
しかし、単に定義が分からないからと捨ててしまうより、 定義を様々に変えてみて考えてみることの方が、 素直で実りが多いような気がする。
さて、本物の自分とは何だろう。本当の自分とは違うのだろうか。
いろいろ考えた末に出た結論は、 自分が本物だと心から信じる自分こそが、本物の自分だというもの。 当然、本当の自分とは意味合いが違ってくる。 本当の自分は、その瞬間の自分を意味するだろうからだ。 なんとも抽象的になってしまうが、少なくともこれだけは必要な条件だと思う。
こんな自分は嫌だと思えば、その時の自分は偽物だし、 かくありたいという目標は本物だろう。 ということは、 (いつも同じような結論になるなあと思いつつ、) 本物になりたいという自分こそが、 本物といって良いのではないだろうか。