新研究室配属
昨日、新しく配属される研究室の説明会兼顔合わせがあった。 うすうす感じていたことではあったが、 精神的に束縛される研究室であることを再確認してしまった。 今までいた研究室とは打って変わって、 きちきちの雰囲気の研究室へゆくことになる。 場所も狭いし、やらなければならないことも多い。
修士は一年間に、国際会議に一度、研究会に一度、 研究成果を発表するというのが目安にせよとのこと。 去年一年間、そんなことは全く考えていなかっただけに、 これには衝撃が走った。 やれば出来るかもしれないけれど、やっぱり無理な気が「とても」する。
そして今、一番気になっているのは、 新しい研究室の人々はこの日記の存在を知るかどうかだ。 以前いた研究室では、とくに教えていないのに、 いつの間にか知っているということがあった。 もちろん驚いたし、インターネットの恐ろしさを感じた瞬間でもあった。
今度行く研究室も、インターネットには非常に近しい研究室であるので、 もしかすると誰か知ることになるかも知れない。 そうなると、愚痴が書きづらくなるなあ、などと思った今日このごろでした。
スペシャル
友人のweb日記を読んでいたら、考えさせられる事が書いてあった。 恋人に恵まれないのは理由がないわけではない、 相手にアピールする「これぞ」というものがないからだと彼は言っていた (言われていた)。
これぞというもの、それが「スペシャル」だ。 彼はけっしてつまらないわけでもなく、また格好悪いわけでもない。 むしろかなりポイントが高いと思う。 演劇をしているときの彼はとても格好よかった。 しかし、彼の友人にそのようなことを言われていた。
自分にしかなく、他の人から素晴らしいと思われる「スペシャル」。 そんなものが果たして全ての人にはあるのだろうか。 他の人にはあるかも知れないけれど、 少なくとも自分にはないのかも知れない。
でも、必ず一人一人にあるものだと信じたい。 自分にしかないものが必ず何かある。 ただ、それをちゃんと知らないのだ。 知っていたとしても、アピールの方法を知らないのかもしれない。 同じ言葉でも、言い方を変えると受け取る感じも変わってくる。 それと同様に、アピールの仕方によって、 スペシャルに見えてくるし、欠点にも見えてくる。
要は、自分を好きになれるかどうか、だろう。 好きになれれば自分の良い点も分かるだろうし、 当然積極的に好意的にアピールもできる。
紋切り型の事を書いてしまったが、やっぱり本当のことだと思う。 言うは易く行うは難し、の典型的な例でもあると思う。