広い世界を見るのだ
久しぶりに映画を見てきた。窪塚洋介主演「GO」。 予告編を見た時の印象は、 コリアンジャパニーズのアイデンティティがどうこうという話。 重いのかなあと思ったら、重すぎず軽すぎずいい感じだった。 考え込むのは、テレビのドキュメンタリー番組でいいだろうし。
まあ、それでもいろんな事を考えた。 日本人がどれだけ自身らを単一民俗であると思っているのか、とか、 名前という呪(シュ)に縛られて生きているんだ、とか、 ちょっと離れて、生きているうちにどれだけの世界を見ることができるのか、とか。
考えたことはすぐに忘れてしまうので、1つ目についてちょっとだけメモ。 在日韓国人の人々は、はっきり言って日本人と区別がつかない。 しかし、名前が日本人とは明らかに違って、 韓国風の名前を聞くことは子供のころからほとんどない。 だから、不意打ちのように韓国風の名前を聞くと驚いてしまい、 そんな自分をごまかすために差別してしまうのかな、と。
そんなことを無くすためには、その人がどんな人なのか見抜く目を持ち、 その目を信じることができる自分になるしかない。 たくさんの価値観に触れることができたら、 もしかしたら物事の本質を見抜くことができるのかもしれない。 世の中の物差しを集めたり、自分で作り出したりしながら、 いろんな角度で物事を計る。 つまりは多様性が重要という事か。
映画を見て、そうだったのかと思えたことがあったのでそれについてもメモ。 それは、「在日」という意味。 「在日」という言葉の中には「そのうち出ていく」 というニュアンスが入っているのだと言われた。 「在日」という言葉のどこかに引っ掛かるものを感じていたが、 なるほどそこだったのか、と目から鱗が落ちた。 ならば日本語で彼ら彼女らのことはなんて呼べばいいんだろう。 コリアンジャパニーズが良いのか?でも英語だし。 なんて呼んで欲しいのか、教えてください。で、それを広めましょう。 コリアンジャパニーズを日本語風にして、韓国系日本人か。 それとも、区別しない方が良いのか?でも、それは解決にはならない気がする。